night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

7/19(日)北鎌倉散歩(1)

 横須賀線北鎌倉駅で下りた。線路沿いには円覚寺につながる林が見えるが、少し反対方向に歩く。県道(鎌倉街道)は歩道もなくて危なく、歩きにくい。

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 住宅地の坂道に入ると、光照寺というお寺がある。
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 山門にはクルス紋という不思議な紋所がある。江戸時代に、潜伏していたキリシタンをこの寺が庇護していたという言い伝えがあるそうだ。境内はこぢんまりとしていて、背後は一面の分譲墓地になっていた。

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 少し歩いて、東慶寺。縁切り寺として有名なところだ。

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 本堂の釈迦如来の前で、風が吹き抜けるのを感じながら、少し休んだ。──不思議な雰囲気のお寺だった。静かなお庭の中に、入れない堂では、ひそやかに何かが行われているようすであった。

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 背後の山腹には、緑に覆われた古い墓所が広がっている。やわらかい光がさしていた。

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 用堂女王とは、この東慶寺の住持となって護良親王の菩提を弔った人だそうだ。

読書&査収音源リスト(2020年4月~6月)

 自粛期間だというので本を買い込んだりしたけれど、結局、そういう非常時には、たいして本など読めないのだった。順不同だが、ほとんどは6月になってから読んでいたものである。

▼皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上・下(新潮文庫)/塩野七生

▼相模湾上陸作戦 第二次大戦終結への道 (有隣新書)/大西比呂志、栗田尚弥、小風秀雅

 終戦直前に米軍が立案していた首都圏直接上陸作戦の、重要なターゲットは、「チガサキ・ビーチ」だった。──米軍の資料に加え、日本側で“汀線陣地”の構築に関わった赤柴中将という人の日記も主軸にして描かれる、当時の湘南海岸の状況、爆撃と機銃掃射にさらされる人々の生活についての記述は、圧巻だ。まぎれもなく労作。神奈川の地場の書店である有隣堂が出版している書籍で、平成7年第一刷。地元の図書館で借り出して読んだあとに、神奈川県内の書店で見つけて購入したのが平成28年第五刷というものだった。

▼飛ぶ教室(光文社古典新訳文庫)/ケストナー、丘沢静也 (訳)

 べつに悪くないのに、どうして先達の訳者をおとしめるようなことをあとがきで書くのかなあ、と思う(光文社古典新訳文庫は意欲的な試みだと思うけれど、ときどきそういう訳書や訳者に出くわす)。子供の頃に講談社版を読んでいるのだけれど、…この話、ベク先生も禁煙さんも、三十代なのだ。ちょっと嘆息してしまった。

▼12万円で世界を歩くリターンズ タイ・北極圏・長江・サハリン編(朝日文庫)/下川裕治、阿部稔哉

▼pen 2020年2月15日号「平壌、ソウル」

▽深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと/スズキナオ

 デイリーポータルZで名前を見かけるウェブライターの人だけどそれ以上のことは知らない。ネット記事のコレクションのような書籍で、昔風に言うと“雑誌連載などをまとめたエッセイ集”なのだろうが、文章の初出がインターネットメディアであるのが現代風だ。書いてあるプロフィールを信じるならぼくと同世代みたいなのだけれど、お金をかけていなくても行きたいところに行って見たいものを見て、ゆったり生きてる感じを醸し出している。

▽アホウドリの糞でできた国 ナウル共和国物語/古田靖

▼椿井文書 日本最大級の偽文書(中公新書)/馬部隆弘

▽イタリア遺聞(新潮文庫)/塩野七生

▼草原の制覇 大モンゴルまで シリーズ中国の歴史③(岩波新書)/古松崇志

 これは抜群に面白かった。通り一遍に習う中国史とは、見方が全然変わってくる。新鮮な世界観が次々と提示されるので、読んでいてわくわくした。今のところ、岩波新書のこの新シリーズ中、最大のヒットである。──メモをいくらか。

  • 北魏の碑文に、鮮卑語で、君主を「可寒(カガン)」、その后を「可敦(カトン)」と書かれているそうだ。「カガン」は東西通じて遊牧民族の王が称した、可汗とかカーンとかハーンとかカガノスとかのそれであるのは明らかだけど、「カトン」 とは? …もしかして、それってトルコ語の「ハートゥン」(女性の敬称?)では?!(オスマン帝国のドラマをこのところずっと見てるので、連想が)──ユーラシアの遊牧民族の言語と歴史のつながりってすごいな。
  • 拓跋部から北魏、北斉、北周、隋、そして唐まで、鮮卑の系譜がつながっているというのも驚く。──ウイグルの援軍がなければ収められなかった安史の乱の後(9世紀)の、「唐・チベット・ウイグルの三国鼎立時代」という表現も面白い。唐の滅亡後に唐の復興を掲げたのも、「沙陀(さだ)」というテュルク系の部族軍団で(初めて聞いた名前だ)、朱全忠の後梁以外の五代の王朝はみな沙陀の武力に由来する政権で、その系譜は趙匡胤の北宋に続くという。
  • 宮殿が東を向いていた契丹上京城(上京臨潢府)なんて、異文化すぎてわくわくする。東アジアには天子南面の中華風の都城しか存在しないのかと思っていた。
  • 「澶淵の盟」によって契丹と北宋は対等に天下を分け合う平和共存関係となり、それぞれが「北朝」「南朝」と呼ばれたという。大陸の南北朝と言えば中原と江南だと思っていたが、そうではない時代があったのだ。また、11世紀半ばのユーラシア東方は、契丹、北宋、高麗、西夏、チベット、西ウイグルなどの「多国体制」だったという。中原の王朝が相対化される視点だ。
  • 青唐チベットの軍事征服に成功した徽宗は、欲を出し、新興国の金と結託して契丹を攻め、それが結果的に悲惨な亡国を招いた。風雅に溺れる文人皇帝としてしか知らない徽宗が、そんな軍事的な野心をもつ皇帝だったとは…。(ただ、開封陥落のときの凄惨な逸話には触れられなかった。あれはやはり歴史学的には眉唾なのだろうか。)
  • 元の大都は金の中都に隣接して造られた。大都の都城の南西に中都が接する図が載っている。両方が併存していた時代もあったという。──えっ、ということは、現代の北京西駅の南あたりは、金の都「中都大興府」だったのか。なにか遺跡は残っているのだろうか。北京に行ったときは清代の紫禁城のことしか考えていなかった。そういえば北京市内の南のほうに大興区という地名があって、こんど新空港ができたところだ。大興というのはそういう歴史的地名なのね。
  • どうでもいいけど、“世界史で印象深い人の名前”部門で、「耶律阿保機(やりつあぼき)」と「完顔阿骨打(わんやんあくだ)」は、両巨頭だよね。(?)

▼台湾の歴史と文化 六つの時代が織りなす「美麗島」(中公新書)/大東和重

▼陸海の交錯 明朝の興亡  シリーズ 中国の歴史④(岩波新書)/檀上寛

 「明」にフォーカスをあてた中国史の本って、珍しい。

▽折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー(ハヤカワ文庫SF)/ケン・リュウ (編)、中原尚哉・大谷真弓・鳴庭真人・古沢嘉通(訳)

 面白かったのは、やはり、『沈黙都市』(馬伯庸)なのだけど…、政治的な何かを読み取るのは、無しとしたい。

6/21(日)金沢八景から鎌倉へ

 京浜急行金沢八景にやって来た。──あれ、こんな駅だったっけ?

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 シーサイドラインの駅が京急の駅に近づく工事が終わったようで、もっと狭かった記憶のある京急の駅前が、きれいに整備されていた。

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 だが、海が切れ込んだ地形は変わらない。琵琶島神社という小島が、海に突き出している。

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 新しいマンションの下にこういうものがあるのが、独特の風土だなあと思う。

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 駅前の国道16号線沿いに、瀬戸神社という神社がある。珍しいあじさいが咲いている

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 しかしこの神社、背後の崖におどろおどろしい穴が。いわゆる“やぐら”だ。岩に掘られた横穴で、中世にさかんに作られたらしく、鎌倉は、地形的に山が迫った土地のせいか、あちこちにある。金沢や六浦は、中世の鎌倉の外港だったという。

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 この平潟湾が繁華な港だった中世の風景を想像しながら、路線バスに乗った。

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 路線バスで、大道中学校という停留所で下りて少し歩くと、朝夷奈切通の入口がある。京浜急行バスで来たが、時間が合えば、大船行きの神奈中バスの朝比奈バス停のほうが近かったようだ。車道はこの先、横浜横須賀道路を越えて、鎌倉の市内に向かう峠越えにかかる。

 朝夷奈(あさいな)切通は、中世の古道で、鎌倉の府内と六浦の港を結ぶ道だったということだ。だが、台風で倒木のため通行止め、という看板が出ていた。──昨年の台風以来、鎌倉は、天園ハイキングコースも通行止めのままだし、観光客のために使う予算はないのだろう。

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 だが、古道の雰囲気は色濃く残っている。

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 川のように水が流れる、足場の相当悪い山道になっていた。ぬかるみに踏み込んで服が泥まみれになったりも。

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 古道が下りてくるのが、鎌倉の十二所(じゅうにそ)というところ。──杉本寺の近くで、鎌倉駅からこのあたりまで歩いてくるとだいぶ奥に来た感じがするが、そのへんに出たことになる。コンビニで休憩してから、金沢街道をさらに歩く。谷底に押し込められたようなところを通る県道で、歩道も狭くて歩きにくく、金沢街道以外の道もほぼないので、徒歩の散策に向いた土地ではない。

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 明王院。四代将軍藤原頼経が建立したという寺院だ。こじんまりとしているが量感のある、かやぶきの堂があったが、境内は撮影禁止。

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 浄妙寺鎌倉五山のひとつ。

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 なんというか、「ぼってり」という形容をしたくなる、押し出しの強い本堂だ。足利氏ゆかりの寺のようで、二つ引両の紋が見える。

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 さらに丘の上まで歩いて行くと、あじさいの散策路が美しい。

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 足利直義の墓だそうだ。まったく知らずに来たのでとても驚いた。足利直義観応の擾乱の末に、鎌倉の延福寺に幽閉されて死ぬことになるのだが、延福寺というのがこの浄妙寺塔頭で、この場所にあったということだ。

 浄妙寺にはほかにも、足利貞氏足利尊氏の父)の墓もあって、まさに『太平記』の世界だ、と感心してしまった。鎌倉はもっと予習して来ないといけないなあ、などと思う。──このお寺には石窯ガーデンテラスという洋風のレストランもあるようだ。また、喜泉庵という有料の茶室から枯山水庭園が見られるようだが、残念ながら時間が遅くて入れなかった。また今度改めて来よう。

庭のつくばいにソーラー水中ポンプを導入

 自粛生活の日々、日数にして3割ほど在宅勤務になったり、週末もどこにも出かけられない。──いきおい、自室を掃除したりし始めたが、ふと、庭にあるつくばいとかけひに目が向いた。

 庭には、小さなつくばい石に、竹のかけひがしつらえてある。下に水道管がつながっていてかけひから水を出すことはできるはずだが、水道水を出しっぱなしにするわけにはいかないので水は流れておらず、すっかり、涸れつくばいになっている。こういうのはやはり、水が流れてこそのものだし、水音が聞けたら面白い。だが近所迷惑になりかねないから、べつに一日中流れていなくてもいい。──というわけで、Amazonで買ったのがこれ。

▼噴水ポンプ ソーラーポンプ 1.8W 9V 省エネ 自動操作 ブラシレス 水サイクル 屋外 池 プール 水槽 装飾 ソーラー水中ポンプ フローティング 噴水

 なんだかわからないショップが売っている、なんだかわからないメーカの、型番もなんだかわからない製品である。どうやら類似の商品がほかにもたくさんあり、ポンプ本体は同じものだったりするようだ。手のこぶしよりも小さな、驚くほど小さな水中ポンプに、小さなソーラーパネルがつながっている。A4ペライチの英語の説明書を信じるなら、スペックは、▼ソーラーパネル出力:10V/2W▼ポンプ出力:9V/1.58W▼ポンプ最大揚程:150cm▼ポンプ最大流量:220L/h、だそうだ。バッテリーはないので、蓄電はしない。つまりこれ、ソーラーパネルからのDC電源にDCモータを直接つないで動かしている製品である。日光を受けて動作していても、ソーラーパネルを覆ったり、日が翳るだけで、途端に止まってしまう。電源コードの接続部が、見たこともない2ピンのジャックなのだが、これには極性があるらしく、挿し間違えると動かない(最悪、壊れるらしい。そういうことはどこにも書いていない)。言ってみればおもちゃのような製品だが、面白いおもちゃが手軽に買える時代になったものだ。

 本当なら、つくばい石の下を掘って雨水枡か何かを埋めて、あふれた水が落ちて溜まるようにして、そこから水をくみ上げるのがよいのだろうが、すでに設置してある石を動かしてそんなことをするのは大変だ。とりあえずホームセンターに行き、ビニールの燃料用ホース(内径9mm)を買ってきて、つくばいに沈めたポンプとかけひをホースでつないだ。ポンプはごみを巻き込まないように、百円ショップで買ってきた洗濯機の糸くずネットでくるむ。ホースと電源コードは適当に土に埋めた。

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 水が出た。しかし、もう少し水量が出るかと思ったけれど…。かけひの支柱の竹がわりと深くまで刺さっているのを、その下まで掘ってホースを通して水を上げており、そのせいか、高低差がありすぎて、ポンプの力が足りないようだ。このくらい控えめに出るくらいでもよいという気もするが、もう少し水量が多いほうがいいなとも思う。──改良の余地がありそうだ。だが、晴れた昼間に、ふと気づくとちょろちょろとした水音が聞こえるのは、好もしい。

コロナ事変の日々

▼ぼくが最後に店頭でマスクを見たのは、1月の末のことだ。それ以来、3月の旅行中に偶然見かけた5枚パックのマスクを除いて、一度も見ていない。

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▼最初にニュースに登り始めたのは1月の上旬だっただろうか。中国の武漢が閉鎖されたのは1月23日だった。大陸の真ん中にある交通の要衝、人口一千万の巨大都市を、閉鎖するなんて、そんなことができるのか? と思ったし(だが彼らは大きな犠牲を払ってそれをやり切ったのだ)、“封城”という新しい(?)中国語単語の印象も興味深かった。一方で、春節を控えた中国で大規模に人の動きを止めるなんて半信半疑だったし、東京にも、中国人観光客はもとから多いが、さらに増えていることがすでに感じられていた。春節の民族大移動を本当に止めているらしいと聞いて、中国政府が本気で危機感を持っているのだと思った。湖北省の在留邦人を迎えに行く日本政府のチャーター機が羽田から飛んだのは1月28日だった。

▼これは時間の問題だろうと思った。いま中国と日本の間の人の動きは、自分の親の世代とは比べ物にならないほど多い。それは互いの国の仕事がすでに深く結び付いているということだ。モノの貿易はもちろん、ぼくの仕事の現場にも、短期やある程度長い間、中国から来ている人は、以前もいまもいる。人の往来を制限することなんかできない。

▼…と思っていた。ただ、それが“時間の問題”であるとして、時間がたったときに何が起きるのか、想像できなかった。

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▼クルーズ客船が横浜港に停泊したまま集団感染が起こっているという話、日に日に増える感染者数に薄気味悪いものを感じていたのが2月の上旬だ。インフルエンザみたいなものじゃないのか、子供の学校じゃあるまいしそんなに爆発的に増えることってあるのか、豪華客船なんて不衛生な環境でもないだろうし、わけがわからない、と思った。

▼その後、国内でも人から人への感染が起きている、症状がない感染者であっても感染を広げている、飛沫感染だけではなく空気感染も疑われる(空気感染は今でも証明はされていない)、などという話に至っては、これは困ったことになった。普通に“熱があれば休みましょう”ってレヴェルじゃないってことじゃないか?

▼職場関連のビルの在勤者に感染者が出たことがニュースになったのは2月14日だった。このときは通勤経路まで報道されていた。他の土地でも、感染した人の、勤務先から休みの日に出かけた先からなにから、報道されるようになった。ひどい話だ。

▼世間のボルテージが上がってきた。しかし、満員電車に乗って毎日往復通勤している立場からすると、まったくぴんと来なかった。大げさに騒ぎすぎだろう、と思っていた。このときはまだ。

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▼つまりぼくは、このときに及んでもまだ、これから来る事態を正しく予想することができていなかったのだ。2月の下旬には東北地方に旅行して家族に会っていた。「どう、東京は、コロナってる?」──まさか、日本で“不要不急の旅行は禁止”なんてことになるはずがないよ。

▼3月には京都にも行った。海外からの旅行者がいなくなった静かな京都に行きたかったのだ。

▼ただ、2月末に予定があったライヴは、開催されたとしても自分は行かないだろう、とは一週間前くらいには決めていた。これも中止になった。

▼2月の末から各地の博物館・美術館が休館になったのは悲しかったし、学校、図書館、文教行政は、この国では“不要不急”なのか、そんな話があるか、と憤った。職場では「子供をどうする」という会話があちこちでされていた。

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▼3月から取引先の出勤抑制、往訪や対面打ち合わせの原則禁止などで、仕事にも支障が出てくるようになってきた。

▼そのうちに欧州と米国の感染爆発のニュースが流れてきた。先の日付のイヴェントも次々と中止になっていく。オリンピックまで中止になった。まあそりゃそうだよね…。

ゴールデンウィークのLFJが中止になったのは3月27日。週末は“外出自粛”だという。自室でふてくされて過ごす。

▼外出自粛だと言われることに、むしろ戸惑いがあった。そもそも、自分が“無症状の感染者”だと仮定したときに、家にいると、家族にうつす可能性が高くなるのではないか? むしろ自分は仕事やなにかで日中は外に出たほうがよいのではないか? と悩んだ。

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▼マスクについて言えば、ウイルスの防御に市販のマスクは効果がないとぼくは理解していて、相変わらず着けていなかった。どうしたって眼鏡が曇るし、息苦しい。口の前に布を常に置くことによって不衛生になり、かえって他のいろいろな細菌などへの感染の危険が増すのではとも考えていて、ぼくがマスクを着けるのは、そのことが社会的に求められる場面(そういう場面がすでに現出していた)に限られていた。

▼実際の問題として従来のような使い捨てマスクが一般に流通していないので、以前に購入したまま自宅に抱えている最後の1箱には手をつけず、1枚を複数日使い回すようになった。(今では石鹸で手洗いしている。)

▼思い返してみると、衝撃が大きかったのは、3月30日に亡くなった有名コメディアンのニュースだった。彼の既往症がどんなものであったにせよ、高齢者がそれこそコロリと亡くなってしまうという事実は、衝撃的だった。あのコメディアンその人や彼のテレビ番組にはなんらの思い出もないが、正直なところ、本当に怖くなったのはここからだった。この日からぼくも外出中はマスクをつけ始めた。

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▼4月に至ると、仕事上でかかわりのあるあちこちから、在勤者に感染者がいた、という話が聞こえてくるようになった。もはやいちいちフロア閉鎖などはされなくなったようだ。

▼“緊急事態宣言”を待ち望む自分に気づいた。政府が強権をふるうことを待っている自分がいた。すでに学生が動かなくなったことで通勤ラッシュは多少は緩和されていたにせよ、仕事がある以上、人混みへ出ることは避けられない。政府が介入して経済活動を規制し必要な対策をとらなければならないが、しかし、政府がそれをするのを待つ・求めるというのは、それはそれで、民主主義社会の市民としてあるべき態度ではないとも思う。主権者は我々であるから、我々が社会のために必要なことを自ら判断して実行しなければならず、そのために必要な対策や困窮する人の救済は、我々が作った調整機関であるところの政府を通じて、行わなければならない、というのが、筋だと思うのだが…。

▼いわゆる“アベノマスク”は、語り継がれるだろう。あの発表があったとき、右も左も世論は見事に怒り一色に染まった。実際問題として市中に流通していないどころか、医療機関にも滞っているというものを、どうにかするだけの国力が、この国には、もう、ないのだ、この国は貧しい国なのだ、この戦には負ける、と思った。何をどう考えた政策だったかに関わらず、あれはそういう強烈な負のメッセージになった。

▼4月7日に“緊急事態宣言”が出たが、それですぐにぼくの生活が直接何か変わるわけではなかった。

▼だが、徐々に在宅勤務(いわゆる“テレワーク”)が始まった。勤務先の機材に加えて自宅の通信環境も、結果的になんとかなったのは幸いだった。だが、すべての仕事をリモートですることはできないので、どうしても出なくちゃいけない日は出る、というような動きになり、かといって出る日を職場単位で上司から統制されているようなそうでもないような、曖昧な感じだが、この曖昧さは、守っていきたいところだ…。(新入社員とかは別だろうけれど。それにしても、これから、新人教育とかはどうしていけばいいのだろう。)

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▼在宅勤務の日は、一日中自室に幽閉されているような、居心地の悪さを感じる。一方で、「集中できて良い」という人もいるようで、向き不向きはあるようだ。在宅で残業というのは基本的になし、ということになっているので、“退勤”と同時に家を飛び出してスーパーに買い物に行ったりもしていた。一日一度くらい外に出ないと頭がおかしくなる。

▼しかし、テレワークができるだのできないだのと騒いでいるのも、今のうちかもしれない。そのうち、在宅でする仕事もなくなって、大波に飲まれる日が来るかもしれない、という危機感がある。同業他社からはすでに一時帰休という話も聞こえてきている。

▼かと言って、都心の職場に出勤するのも、この状況では、気が進まない。地元の管内の路線バスは、4月24日から“平日も土曜ダイヤ”ということになり、大幅な減便になった。だが、ぼくの体感的には、だいたい“緊急事態宣言”が出た頃を境に、通勤時間帯の人出はそれほど減らなくなった。今がボトムなのではないかと感じている。首都圏三千万の都市機能と全国に通じるインフラを維持するために(ぼく自身もどこかでその一翼を担っている)、通勤しなければならない人が、このくらいいるということなのだろう、と思う。──息をひそめながら、毎日のニュースの感染者数の数字を、睨んでいる。

読書&査収音源リスト(2020年1月~3月)

▼三体/劉慈欣、立原透耶(監修)、大森望、光吉さくら、ワン・チャイ(訳)
三体

▼十二国記 白銀の墟 玄の月 (1)~(4)(新潮文庫)/小野不由美
白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫) 白銀の墟 玄の月 第二巻 十二国記 (新潮文庫) 白銀の墟 玄の月 第三巻 十二国記 (新潮文庫) 白銀の墟 玄の月 第四巻 十二国記 (新潮文庫)

▽農ガール、農ライフ/垣谷美雨
農ガール、農ライフ

▽横浜駅SF/柞刈湯葉
横浜駅SF (カドカワBOOKS)

▼戦争は女の顔をしていない (1)/小梅けいと、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(原作) 速水螺旋人(監修)
戦争は女の顔をしていない 1

▼春期限定いちごタルト事件▼夏期限定トロピカルパフェ事件▼秋期限定栗きんとん事件 (上/下)▼巴里マカロンの謎(創元推理文庫)/米澤穂信
春期限定いちごタルト事件 (創元推理文庫) 夏期限定トロピカルパフェ事件 (創元推理文庫) 秋期限定栗きんとん事件〈上〉 (創元推理文庫)秋期限定栗きんとん事件 下 (創元推理文庫 M よ 1-6) 巴里マカロンの謎 (創元推理文庫)

▼中華の成立 唐代まで シリーズ中国の歴史①(岩波新書)/渡辺信一郎
中華の成立: 唐代まで (岩波新書)

▽明治維新という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像(洋泉社歴史新書y)/森田健司
明治維新という幻想 (歴史新書y)

▽一〇〇年前の世界一周 ある青年が撮った日本と世界(日経ナショナルジオグラフィック)/ワルデマール・アベグ、ボリス・マルタン、岡崎秀(訳)
一〇〇年前の世界一周

▽日本近現代史講義 成功と失敗の歴史に学ぶ(中公新書)/山内昌之、細谷雄一(編著)
日本近現代史講義-成功と失敗の歴史に学ぶ (中公新書)

▼オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史(中公新書)/小笠原弘幸
オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史 (中公新書)

▼やがて君になる 佐伯沙弥香について(3) (電撃文庫)/入間人間
やがて君になる 佐伯沙弥香について(3) (電撃文庫)

▼江南の発展 南宋まで シリーズ中国の歴史②(岩波新書)/丸橋充拓

▼北欧女子オーサが見つけた日本の不思議(Kindle版)/オーサ・イェークストロム

▽感染症と文明 共生への道(岩波新書)/山本太郎
感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

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▼NANA MIZUKI LIVE EXPRESS(Blu-ray)/水樹奈々

▼SANCTUARY II ~Minori Chihara Best Album~/茅原実里

3/22(日)鎌倉・瑞泉寺

 新型コロナウイルス感染症の流行で、外出の自粛が言われているが、他人と接触しなければよいだろう、と鎌倉に出かけた。横須賀線鎌倉駅で降りると、それなりに人は多くて、外出自粛ってほどでもないなあ、と思う。太刀洗行きの京急バスに乗ったが、道路は流れていて、鎌倉の休日なんて大渋滞でうんともすんとも動かないという印象を持っていたので、様子は違うのだろうなあとは思ったが、それでも、小町通り鶴岡八幡宮あたりなどは人でごった返している様子も見えた。

 バスは朝比奈のほうに向かうので、途中の「岐れ道」という停留所で下りて、左の道に入って歩いて行った。鎌倉宮に突き当たって、鎌倉宮の右側を回り込んでさらに山の方へ歩いて行く。──目指すのは瑞泉寺である。鎌倉時代に開山の寺で、夢窓国師が設計した庭園が残されているという。関東に夢窓国師の庭があるとは珍しいので、行ってみようと思ったのだった。

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 天園ハイキングコースの入口がある。3年前の夏に、歩いてここに下りてきたことがあるが、天園ハイキングコースは昨年の台風以来ずっと通行止めになっている。

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 鎌倉は山がちな狭い土地で、京の都とはまったく違う風土だが、端正な禅寺が現れた。

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 名勝の庭園とはどこにあるのか、と本堂の後ろに回り込むと、予想もしていなかった景観が目に飛び込んできた。

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 岩盤にくりぬかれた洞穴。手前の池も、岩盤に水がたまったような感じだ。洞穴は、もともとは仏でもまつられていたのだろうが、今となっては、そしていろどりの少ないこの季節では、ただひたすら、虚無の光景であった。

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 烏が2羽やってきて、虚無の池で水浴びを始めた

 “庭園”という概念を覆される、不気味な、だがとても静かな庭だった。

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 池を配した公園に、永福寺(ようふくじ)跡という看板が出ていた。頼朝が建てた寺の跡だということで、山を背負った大寺院の復元想像図が看板に出ていた。残っていればさぞ立派だったのだろうが…。──鎌倉は、武家政権仏教文化の歴史が狭い土地の中で押しつぶされているような印象の街だ。

 鎌倉宮からバスに乗って鎌倉駅まで戻った。どこかで食事をしたいが、混んでいるし、最近は煙草が吸える店が激減したため外食の気乗りがしない。すこしぶらぶらしてから江ノ電に乗った。休日の江ノ電は大混雑だと聞いていたが、さすがにこの外出自粛下では、普通に乗れる程度に空いていた。──だが、この江ノ電に限らず、この日はもはやマスクを着けていない人が多く、例年の花粉症の時期くらいのマスク率に戻ったなあ、と思ったのを覚えている。グループで出かけているらしい若い人たちも多かった。

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 小田急片瀬江ノ島駅。1年余り見ないうちにいつの間にか建て替えられて、前よりも派手な竜宮城になった。

東京・春・音楽祭2020「ピアノの時間 ― 三浦友理枝」@上野学園 石橋メモリアルホール 3/20

 新型コロナウイルス感染症の流行で、すでにいくつものコンサートやライヴ、演劇などが中止になったり、公共の文化施設が休館になったりしていたが、2月下旬からイタリアを皮切りにして欧州の状況がどんどん悪くなっていた。『東京・春・音楽祭2020』は、3月13日に、多くの公演を中止すると発表していた。──ゴールデンウィークのLFJがチケットの一般発売開始を「延期」したのもこの頃で、この時点で日本もさることながらむしろ欧州の見通しが立たなくなってきたようだった。

 東京春祭は、演奏家が国内の人であったとしても、そもそも会場に使うはずだったホールや博物館などが閉鎖されている以上は、どうしようもないのだろう…とは思っていたが、ぼくは3月20日三浦友理枝さんのピアノコンサートのチケットを取っており、どうなるのかと見守っていたところ、どうやら開催するらしい。前日にコンビニでチケットを発券した。会場は上野学園石橋メモリアルホールである。学校法人のホールだから使えるのかな、などと思いながら向かった。銀座線の稲荷町駅から歩いて行く。東京はすでに桜が咲き始めていた。

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 上野学園石橋メモリアルホール、ぼくはかなり昔に何かの演奏会で一度足を運んだことがあるはずだが、そのときのぼんやりした記憶とはまったく違う、真新しい建物だった。近年に建て替えられたらしい。──マスクをつけて、入口に置いてあるアルコールを手に噴霧してこすりつけて、入場した。チケットのもぎりは、スタッフの人が小箱を持って立っていて、自分で切り取ってその箱に入れるように、ということになっていた。こんなことは初めて見る。声を出すのも憚られる状態である。CDなどの物販もない。かろうじて、鮮やかなピンク色の表紙の、東京春祭の公式プログラムは売っているが、そこに載っているだろう公演は、すでに櫛の歯が欠けるようになっているはずである。チケットも払い戻しに応じているためか、空席が目立っていた。

ショパン:雨だれ(《24の前奏曲》op.28より)
・C.シューマン:ロマンス イ短調
シューマントロイメライ(《子供の情景》op.15より)
シベリウス:もみの木(《5つの小品(樹木の組曲)》op.75より)
・H.カスキ:秋の朝(《3つの断片》op.21より)
スクリャービン:左手のための前奏曲ノクターン op.9
ラフマニノフ:鐘(《幻想的小品集》op.3より)
(休憩)
ドビュッシー
  月の光(《ベルガマスク組曲》より)
  亜麻色の髪の乙女(《前奏曲集 第1集》より)
  夜想曲
・サティ:ジムノペディ第1番
プーランクエディット・ピアフを讃えて(《15の即興曲》より)
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
・F.モンポウ:《内なる印象》より 哀歌(第1曲、第3曲、第4曲)/悲しい鳥/秘密/ジプシー


-encore-
坂本龍一:energy flow

 冒頭の、ショパンの雨だれのプレリュードで、すでにちょっと泣けてしまった。とてもレンジの広い、エモーショナルな演奏だったと思うし、ぼくも、生の音楽に飢えていたのかも知れない。見ればわかるように小品集という感じのプログラムで、だけどちょいちょいマニアックな曲が挟まれている。シャンソンのようなシベリウスの曲も興味深かったし、プーランクエディット・ピアフが時代が重なっているなんて考えたこともなかったので面白かった(たしかに“枯葉”を思わせる音の動きが聞こえた)。──三浦さんがマイクで曲紹介のトークをしながら進行するスタイルで、今日は本当にやるのだろうかと思っていた…勇敢な皆さん来場ありがとう、というようなコメントもあった。笑っていいのかよくわからなくなってしまうのがこの時世である。モンポウの『内なる印象』は、「プログラムには3曲書いてありますが、6つ弾きます」ということで、たしか上記の6曲だったと思う。アンコールは、ガラッと変わって坂本龍一だった。三浦さんがトリオで坂本龍一作品のCDを出しているのは知っていたが、本当ならこの日の会場でそのCDを物販しているはずだったのだ、ということだ。

■東京春祭の公式フェイスブックで公開された会場写真

 時世柄か、客席も、咳ひとつ起きず、息をひそめているような緊張感があった。

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 ここが有名な、東京メトロ唯一の踏切、ってところね。銀座線の車庫が地上にあるところ。

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 帰りに上野の駅前で食べた海南鶏飯

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 『東京・春・音楽祭2020』は、その後、公演の中止が追加されていき、ついに3月27日以降の全公演が中止になった。

3/19(木)伏見散歩

 京阪の駅前まで戻って休憩。このあと、中書島京阪電車を降りて、伏見の街を散歩。

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 水路が宇治川に出るところに閘門が設けられていて、その周りが伏見港公園という公園になっている。

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 水路沿いを歩く。“宇治川派流”だそうだ

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 寺田屋も拝観休止中だった。残念。──伏見と言えば酒蔵で有名だが、月桂冠大倉記念館も休館中。キザクラカッパカントリーは開いていたが、売店でお土産のお酒を買っただけに終わった。

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 そして北に歩いていくと、アーケード商店街にぶつかった。大手筋という通りで、はるか遠くまで続くアーケードと人の賑わいに驚く。──ここで、昼からやっている居酒屋のようなお店に入って、いきなりビールを飲んでしまったが、店内のテレビのワイドショーではコロナウイルスの話題ばかりであった。

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 京阪の伏見桃山駅の横の踏切を渡り、少し歩くと、住宅団地の入口に、伏見奉行所跡という看板が出ている。

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 ここは戊辰戦争幕府軍が本営にしたところだという。その幕府軍に対して、薩摩軍が砲撃してきたのが、近くにある御香宮という神社からだそうだ。歩いてみると、すぐ近くである。こんな距離で戦争を…。

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 ここは小堀遠州の庭園が残っているということだった。

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 近鉄桃山御陵前駅から京都駅に戻り、お土産を買って、17時06分の東海道新幹線『のぞみ416号』に乗って帰浜した。帰りの新幹線も、座席を選び放題だった。

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 東海道新幹線の運休列車の掲示。これも歴史の1ページだろう。──この三日間、京都の市中で、大型の観光バスの団体旅行客を一度も見かけなかった。時代が動きつつある中、ぼくのこのような不要不急の旅行は、これからどうなっていくのだろうか、などと思う。■

3/19(木)石清水八幡宮

 ホテルは、無料の朝食が出ることで知られている全国チェーンだが、バイキング形式の提供を取りやめていて、配膳の人に頼むとごはんなりパンなりを出してくれる、という方法に変わっていた。メニューが書いてあるものの、ひとまず「ごはんとおみそしるお願いします」と言うと、「おかずはどうしますか」と聞かれて「えーっと…」となってしまう。「ちょっとずついろいろにしますか(^^」「お願いします(^^」──融通をきかせてくれるのはありがたい。スタッフの人も接客の手間が増えていて、頭が下がる。

 この日は四条大宮から阪急電車四条河原町へ、そして鴨川を渡って京阪電車に乗った。目指すは石清水八幡宮である。特急は停まらないので丹波橋で準急に乗り換える。

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 その名もずばり「石清水八幡宮駅」という駅で降りたが、これ、京阪にそんな名前の駅があったかな? と思った。あとでわかったが、「八幡市駅」がつい最近改名したのだそうだ。

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 石清水八幡宮とは、宇治川と木津川と桂川が合流するあたりの男山という山上にあり、武家の信仰を集めた古社である。古くは王政復古の成った後醍醐天皇鳴り物入り行幸し、後に天皇と戦うことになった足利尊氏が挙兵の戦勝を祈願したという場所だ。──ケーブルカーで一気に山を登り、さらに急な石段を上がると、展望台があった。

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 裏参道と言われる道を登っていくと本社があった。

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 国宝の本殿(徳川家光の時代のものだという)は、いかにも立派だが、こちらは南北朝の戦跡だと思って来ているものの、特にそういったものはない。楠木正成が植えたクスノキ、というのがある程度だ。──気づくのが遅かったが、考えてもみれば、明治以降に官幣大社として残ったこのような大神社に、足利尊氏の事績などが仰々しく残されているわけがないのであった。

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 石庭が隠されていた。

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 表参道を歩いて下りる。

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 摂社の石清水社。中腹にあり、ここで水が湧いていたのだという。

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 往時は神仏習合で、こういうところにも僧房が建ち並んでいたのだそうだ。

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 ふもとまで下りてくると、頓宮というのがある。山全体が神社で、ここがその入口なのだ。大きな鳥居も立っている。

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 隣に高良神社というのがあり、“仁和寺にある法師…”というあれで有名なところだ。疲れたし、この日も晴れて気温が上がり、コートを着て歩いていると汗をかいた。